TMSNCUのブログ

「複眼的に安保法制を考える名市大院生有志の会」のブログです。

名市大学祭「歯ミガキするように社会のことを考えよう!」(報告)

名市大学校祭に、宇宙一有名な吉本芸人がやって来た!!

 

1、11月14日、名市大学園祭イベントとして

「吉本芸人おしどりマコさん、ケンさんの笑えて役立つトークライブ!!

歯ミガキするように、社会のことを考えよう!」が開催されました。

 

みなさんは「マコさん、ケンさん」ご存知ですか?

イベントお知らせビラには「マコさんとケンさんの夫婦コンビ。ケンさんは針金や

テルミンを操り、パントマイムダンサーとしてヨーロッパの劇場でご活躍。

マコさんは鳥取大学医学部生命科学科を優秀な成績で中退され、その後アコーディオ

ン流しを経て芸人に。ケンさんがマコさんにぞっこんになり(途中省略)

今や宇宙一有名なコンビに。」

「お二人は、福島第一原発事故などの取材で大活躍されており、海外でも大注目され

ている新時代のジャーナリスト(兼芸人さん)です。」とありました。

お二人は一体どのような方なのか、芸人なのか、ジャーナリストなのか、

はたまた…と、お二人を知らない人にはなかなかイメージがしにくかったのでは

ないでしょうか。

ただし、お二人を見れば一目瞭然!

「芸人さん兼ジャーナリスト」の説明がぴったりです。

肩書きが持ついろんな“常識”にとらわれている自分に気づくことができると思います。

会場には“老若男女” 、幅広い参加者約150人ほどが集まっていました。

 

2、原発事故で感じた疑問…

吉本の芸人であるお二人が「ジャーナリスト」として活動を始めたきっかけは

4年前の東日本大震災福島第一原発事故

当時、東京では政府・マスコミの「安全」報道にも関わらず、多くの“力のある(情報

力、権力、財力など)人”たちは東京を離れていました。

某大企業は東京本社を3月末まで関西に避難させていた、逃げていないのは“力のない

人”だけだったのです。

また、「30km圏外なら大丈夫」や「レントゲン放射線量よりも少ないから大丈夫」と

いった報道に、大学で放射能の危険等を学んでいたマコさんは疑問を感じました。

例えば、放射能は上空で雲に吸収され「黒い雨」となります。つまり放射能からの

“安全”は距離ではなく、風向きが重要なはずだということです。

「何も確かな情報はない」、そう感じたマコさんはそれから4年間、毎週東京電力

原発事故に関する記者会見に通い、作業員の方にも取材を重ねてきたそうです。

現在、福島第一原発では1日7000人の作業員の方が働いているそうです。

原発事故は何の利益も生みださないとマコさんは話されました。飯館村に放置されて

いる除染された土壌の入った「トン袋」は村だけで90万袋…、東京電力が今の時点で

支払った賠償金は5兆円を超え、これが今後どこまで増えるかは見通しが立たず…、

高速増殖炉もんじゅ」はその維持に1日5500万円、すでに1兆270億円が投入され…。

(「もんじゅ」に関する11月2日発表の「課題と対策」資料によると「同じようなミ

ス、経験不足、約束が実行できない、長年染み付いた悪さ処」が課題だそうです。)

 

3、活動の幅を広げる二人

経済・国益を優先し人々を切り捨てる、そんな構造は原発事故だけではないと感じた

お二人は活動の幅を広げていきます。原発事故被害は「公害」であり、人々が救われる

ためには必ず医療裁判の形になる。そう教えてくれた弁護士の方のつながりで水俣病

訟に関わり、また、辺野古基地問題を知るために名護市役所までアポなしで突撃取材し

たそうです。

今、辺野古基地建設現場周辺では海と陸から反対運動が続けられています。

反対派の人の船が転覆させられ救急車で運ばれることもあり、反対運動は“命がけ”とも

いえるそうです。一方、賛成派には国から海の監視員としてのバイト代が出

ています。

4年間「自分の知りたいことを知る」として活動してきたマコさんは、2013年それまで

との状況の変化を感じたそうです。それは民主党政権から安倍自民・公明党連立政権

変わった頃です。

原子力規制庁(安全委員会・保安院)のメンバーが総入れ換わりし、原発作業員の被ば

く量は個人情報として公表されなくなりました。

2015年9月には環境省が「放射性土壌の再生利用」の方針を発表。除染された放射性土壌は今後道路や宅地の造成に使われていくことになります。

マコさんとケンさんの名前は2013年に国家公安調査庁のリストに掲載され、公安職員が

お二人を張りつきでチェックしていることもあるそうです。

「危険を感じないわけではない」とマコさんは言います。

ですが、知りたいと思い、“想定外”に動き続ける。あるのは「ガッツ」だけ。

それでもそれによって何かが動くと信じて活動し続けていくとのこと。

そうしたらなんと、今年3月原発作業員の方の手紙をローマ教皇フランシスコに届ける

ことができ、さらに5月には教皇から返事を受け取ったそうです。

一人の好奇心が世界を変える、そのことを実感できたそんなお話でした。

 

 

 第二部は大学生による質問コーナーです。

Q1 原発事故後の福島県産農産物を食べる?食べない?について、

  地元の人々はどのように考えているか?

A1 2011年3月~5月はまだ放射線量が測定されていなかったが、現在は多くが測定され

低い数値。ただし、安全基準値の変更もあり、“絶対”はない。放射線量が高そうなもの

と低そうなものの傾向があり、それらを知っておくことは大切。

食べ物の放射線量は食卓全体で考えるべき。危険か安全か、食べるか食べないかについ

ては地元の人も分かれている。

また、生産者を応援するのは消費者ではない、という考え方も大切。

生産者を支援する政策をするのは政府の仕事。

 

Q2 報道に不信感を感じてしまうが、どのように報道に向き合っていけばいいのか?

 

A2 例えば、英字新聞を見るなど。東京電力ツイッターでさえ、日本語と英語では

その内容を変えている。

 

Q3 結局、国家権力にはかなわない、といった虚無感などは感じないか?

 

A3 私たちは神戸の震災も経験し、人は必ず死ぬ、ということを実感している。

日常の心配は些細なもので、多分できる、と思っている。

また「遠くで誰かが虐げられている」のは「きっと自分だ」と考えている。

誰かを助けるはいつかきっと自分に回ってくる。空しくなるときは

“やけ勉(強)”する。

 

Q4 平和や反原発は理想論だと言われるし、反対派にも意見はある。どうする?

 

A4 いろんな考えの人と楽しく話すテクニックを身につける。

議論のポイントは相手の言葉を使ってひっくり返す。で、やっぱり勉強する。

 

当り前のように、芸人でありながら「今、自分が生きている社会・政治のことを考え

る」。それがマコさん、ケンさんでした。

政治家やジャーナリストだけが政治のことを考えるのではなく、私たち一人ひとりが

考え動いていく、しかも“想定外”に。そのことの大切さを強く感じたイベントでした。

 

SEALDsと考える・ピース&デモクラシー@ピースあいち(報告・後半)

5.「繰り返してはならない」という想い  <鈴木忠男さんのお話>

 

第1部の最後は、第二次世界大戦時陸軍通信兵として従軍されていた鈴木忠男さんの

お話です。鈴木さんが自身の戦争体験を語ったのは今年の夏が初めてだったそうです。

鈴木さんによれば、1945年8月6日陸軍通信部は午前2時の時点で新型爆弾が

テニアン空港を出発、日本に向かっているという情報をキャッチしていました。

しかし軍部も政府もその情報に対する一切の対応をしなかった。

鈴木さんは「どんなことでも真実は見えない。(戦時)国家は隠す部分をもっている」

といい、それは現代日本との共通点ではないかと言います。

そして、戦後70年これまでの日本は本当の民主主義社会ではなかったのではないかと

感じているそうです。

ですが同時に鈴木さんは今年の夏、全国各地で若者たちが自分たちのやり方で

立ち上がり自分たちの言葉で語っているその姿を見、

「声を上げられる社会はある」と実感したそうです。

鈴木さんら戦争体験者が自らの心と体を切り刻むようにして戦争体験を語るのは

そこに「戦争を繰り返してはならない」という当事者の想いがあるからだと

語っていただきました。

 

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6.第2部 世代間ギャップを越えて…新しい出会いへ

 

さて、“骨太”のイベントゆえに第1部だけでボリューム満点の報告になって

しまいました。

第2部については…珠玉の言葉をほんの少しですがご紹介します。

  

① 愛知に恒久的な戦争を学ぶ施設を設立する活動の中心メンバーであり

現ピースあいち館長である野間美喜子さんは

「権力と戦うことに“勝ち”はほとんどない」と言います。

安保関連法案強行採決の事実は多くの人々にデモ活動や政治運動の無力さを

感じさせたと言われることがあります。

ですが、そもそも権力は強大なのです。

権力に完全勝利することはほとんどなく、ただし、人々の民主主義社会を

目指した“草の根”活動が「社会に民主主義の種を蒔く」。

だから続けなくてはならないのですね。

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② 元山さんから教科書に載っている「20万人の犠牲」について。

その数字に含まれているのは一人の人間の“ストーリー”、一人の人間が生き、

苦しみ、死ぬ、その“ストーリー”を感じられることが戦争の追体験に

つながるのではないかということでした。

 

③ 岡さんが紹介してくれた話です(これは第1部でした)。

福岡県星野村に戦後70年間燃え続ける「原爆の灯」があるそうです。

その灯は原爆投下1ヶ月後まだ町のあちらこちらにくすぶっていた原爆の残り灯を

持ち帰った山本さんが家族にも話さずカイロや火鉢の中でともし続けてきた

灯だったそうです。

その後、その灯のことを知った村は「平和の灯」として後世に伝えていこうと考えた。

しかし、山本さんにとってその灯は「平和」ではなく「復讐の灯」でした。

多くの人の人生を奪ったその灯でいつかホワイトハウスを燃やしてやりたい、

そう思っていたのだと。

その「復習の灯」は戦後50年たち山本さんの中で「供養の灯」となり、

現在は「平和の灯」として福岡県星野村(現八女市)で灯され続けています。

 

*註2 「昭和20年(1945年)広島・長崎の原爆によって亡くなられた

方々の冥福を祈り、世界平和への願いを新たにしていくために建てられました。

塔の中に燃える“平和の火”は、焦土と化した広島から星野村山本達雄さんが

持ち帰り、やがて村が引き継いで、今日まで絶えることなく燃え続けています。

世界の恒久平和を願う星野村の人々の心のシンボルです。」

(福岡県八女市HPより抜粋) 

 

 イベントではこの他にも、大学生、ママさん、シニアなどなど

さまざまな人々がこれまでにしてきた“行動する”経験や“行動する”ことへの

想いが語られました。

最初の一歩は不安だけれど、そこから新しい「未来」がつながったことを

多くの人が語ってくれました。

  

 

 「もう二度と戦争は繰り返してはならない」。

多くの人が同じように感じているにもかかわらず、未来の選択肢は

さまざまです。私たち一人一人はどのような未来を望み、

その実現のためにどう行動していくのか、答えもまた様々なのだろうと思います。

行動することを恐れず異なる価値観を持つ他者とも共に「日本」そして

「世界」をつくっていくメンバーに自分もいる、

そのことを忘れないようにしたいそう思いました。

 

SEALDsと考える・ピース&デモクラシー@ピースあいち (報告・前半)

1.『<フォーラム>SEALDsと考える・ピース&デモクラシー@ピースあいち』に

         行ってきました!

 

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11月8日(日)、ミーハー気分を持ちつつ「SEALDs」発足メンバーに会いにピース

あいちに行ってきました。

このイベントは、SEALDsRYUKYUを立ち上げた元山仁士郎さん、SEALDsTOKAI創設

メンバーの岡歩美さん、高校生未来プロジェクト実行委員長日比野和真さんら10代20代

の若者たちと、兵士としての戦争体験を語る90代の鈴木忠男さんによる「平和と民主主

義の実現のための活動」報告が第1部。

そして、「新しく出会おう」をテーマに世代間ギャップを超えた参加者の率直なトーク

で構成された第2部の、大変“骨太な”イベントです。

会場は熱気むんむん。ざっと100人はいたでしょうか。イベント開始の午後1時には

すでに用意されていた座席はほぼ埋まっていました。

また、第2部のテーマでもある“世代間ギャップを越える”かのように高校生、大学生な

どのヤング世代が2割ほど、ミドル世代が3割ほどそしてシニア世代とさまざまな世代の

参加が見られました。

 

2.「SEALDs」とは?

 =「Student Emergency Action for Liberal Democracy-s

   (自由と民主主義のための学生緊急行動)」 

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<元山仁志郎さんのお話>

「SEALDs」は、安保関連法案や街宣行動だけではなく自由と権利を守るための

さまざまな活動をしている学生団体です。

団体発足に関わった多くの学生にとってのきっかけは、2011年3月11日の

東日本大震災だったそうです。

原発事故後も「安全だ」と繰り返した政府に対する不信感、一度の自然災害によって崩れてしまう自分たちの“日常生活”…ボランティア活動への参加などを通じ、学んだり話し合ったりするだけではなく(もちろんその大切さも認識しながら)自分たちの社会を自分たちで作っていく、活動・行動することの大切さを感じていったということでした。

 

3.「SEALDsTOKAI」の勇気ある一歩~ <岡歩美さんのお話>

 

さて、SEALDs発足は東京、KANSAIが5月3日、その後7月にTOHOKU、8月にRYUKYU

が発足し、わがTOKAI発足は安保法案強行採決の約10日前の9月8日です。

「あ~やっぱり東海地方は保守的だもんね」と思ったそこのあなた、それは性急という

ものです。もないところから一歩を踏み出して発足したのがTOKAIです。「自分で行動しなくては社会は変わらない」そう話す岡さんの最初の一歩がここ東海地方での大きな活動につながっているんですね。

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 元山さんも岡さんもこうした行動に“恐れ”がなかったわけではないと言います。彼らの活動を見て、離れていく友人もいたそうです。でも、同時に彼らの一歩が次の一歩を生み出す力になったことも事実。“勇気”が生みだす新たな”力”を感じました。

 

4.「積極的平和主義」を実現するために  <日比野和真さんのお話>

 

声を上げ行動することを制限してしまうような社会のことを「文化的暴力」というそうです。愛知の私立高校生を中心とした高校生フェスティバル・未来プロジェクト実行委員長の日比野さんは約600人の参加高校生のまとめ役です。未来プロジェクトは“生(なま)に学ぶ”をモットウに今とこれからのための活動を学び実行しています。そして、そうした活動の中で日比野さんは「戦争がない社会だけが平和な社会なのだろうか?」と疑問を感じ、「直接的暴力」「構造的暴力」「文化的暴力」*註1 の存在を知ったそうです。これらすべての暴力のない社会を平和な社会というならば、今の日本は本当に「平和な社会」と言えるだろうかと感じました。

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*註1 ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが1969年に定義した考え。

「平和=戦争の無い状態」と捉える「消極的平和」に対して、貧困・格差・差別などの

社会構造の中に組み込まれている不平等な力関係である「構造的暴力」の無い状態を

「積極的平和」と定義する。

「文化的暴力」はガルトゥングが1990年代に定義した、戦争を容認する意識や他者への

無関心な姿勢で、それが直接的・構造的暴力を正当化・合法化すると考える。

(www.pref.osaka.lg.jp/attach/1418/00153016/26-27.pdf)

 

(後半へつづく)

 

第4回学習会 詳細決定!

9月19日、ついに安保法が成立しました。

これにより国際社会における日本の立場は

どのように変化するでしょうか。

今回の学習会では、中東の情勢・アメリカの軍事行動・日本の集団的自衛権行使

これらのかかわりを学び、日本と中東諸国の関係のあり方を考えます。

 

今回は、託児もありますよ~。(事前にご予約の方のみ)

 

日にち:2015年10月12日(月・祝)

時 間:14:00~16:00

テーマ:「中東におけるアメリカの軍事行動と

            日本の集団的自衛権     

講 師:嶺崎寛子先生

    愛知教育大学准教授(ご専門*文化人類学・中東地域研究)

参加費:500円

会 場:名古屋市立大学山の畑キャンパス1号館309号室

申込み:学内外、年齢性別問わずどなたでもご参加いただけます。

    参加ご希望の方は事前に下のメールアドレスにご連絡ください。

連絡先:tmsncu@gmail.com

主 催:複眼的に安保法制を考える名市大院生有志の会

 

・託児ご希望の方は、人数、お子さんの年齢等を10月7日(水)までに

 ご連絡ください。お願いします!

 

学習しやすい季節です。

知っているようで実はほとんど知らない「中東」という視点から

安保法制についてあれこれ考えてみませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

第4回学習会「中東情勢から安保を考える」のお知らせ(速報)

TMSNCU(複眼的に安保法制を考える名市大院生有志の会)では

 

以下の通り第4回学習会を計画しています。

 

学内外を問わずどなたでも気軽にご参加いただけます。

 

ご参加お待ちしています!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

日 時: 2015年10月12日(月・祝)14:00~16:00

 

講 師: 愛知教育大学准教授 嶺崎寛子先生(ご専門 文化人類学・中東地域研究)

 

テーマ:「中東におけるアメリカの軍事行動と日本の集団的自衛権

 

場 所: 名古屋市立大学山の畑キャンパス(部屋は未定)

 

参加費: 500円

 

・・・・・・・・・・・・・

第1回学習会は 「憲法」から

第2回学習会は 「国際情勢」から

第3回学習会は 「沖縄」から 安保法制について学び考えてきました。

第4回学習会は 「イスラム世界」からの視点で安保法制を考えます。

アットホームな雰囲気の中、肩肘をはらずに専門家の話を

身近に聞けるチャンスです。

一般の方の参加も大歓迎です。

参加ご希望の方は、レジュメ等の準備のため

以下のメールまでお知らせいただけると助かります。

連絡先:tmsncu@gmail.com 

                TMSNCU複眼的に安保法制を考える名市大院生有志の会 

 

 

 

 

 

主権者としての声明文

本日、国会にて安保関連法案が議決されました。私たちはこのことに強く抗議します。

安保関連法案の内容は「違憲」であり、また、その提議・審議・議決のあり方は立憲主義の精神に反した「非立憲」です。

これは、法治国家であり、立憲主義をとる日本国家の根幹を揺るがすものであり、国民の多くはこのことに疑問を感じています。

政府は、法案の必要性、内容、懸念される事案などについて、国民に納得が得られるような説明を十分にすることなく、「国民の安全のために必要な法案だ」と繰り返し述べるのみでした。

私たちはこのように、憲法が軽視され、国家権力が法治主義を自己に都合のいいように解釈しようとする政府・国会のあり方に不安を感じています。

 

 これまで私たちは、安保法制について学習会を続けてきました。

 第1回目は憲法学を学習し、「立憲主義」の思想を学びました。「憲法によって権力者の恣意的な権力行使を制限しようとする思想」である立憲主義は、公権力による人権保障の確保を目的とするものであり、権力の暴走を防ぐための権力分立国民主権を求めたものです。衆議院憲法審査会では、与党推薦の3人の憲法学者が法案の内容は「違憲」だと述べました。「国の最高法規」である憲法に照らして、この法案は「違憲」だと多くの憲法学者は述べているのです。私たちは、このことを重く受けとめています。

 

こうした憲法学からの「違憲」の声に対して、政府与党は「国際情勢の変化を考えると必要だ」と説明しました。そこで、第2回目は国際社会における安全保障の構想を学習しました。第二次世界大戦後から考えると、「国際情勢の変化」は冷戦後に起きています。冷戦体制の終結は、民族紛争や地域紛争などそれまでの大国間とは異なる紛争を生みだしたのです。すでにそれから20年です。なぜ、今なのか、国際情勢がどのように変化したのか、今後、日本が対応しなくてはならない具体的な情勢変化についての説明は十分にはありませんでした。

軍事同盟によって戦争の抑止力を高めるという意見と、それが戦争の危険性を高めるという意見は、互いに証明できない信念のようなものだと考えます。ただ、軍事力による抑止力が、軍事力の拡大を招くであろうということは、冷戦時の歴史が教えてくれています。

 

安保法案審議が行われている最中に、政府は米軍辺野古基地工事の再開を決めました。日米同盟が国家にとって必然ならば、米軍基地負担は日本国全体が負うべきものでしょう。しかし、「最低でも県外」を受け入れる地域は現れませんでした。日米同盟による日本側の義務である米軍駐留負担を実質上負っているのは沖縄です。そこで、第3回目は沖縄学を学びました。

安保法案によって、日本の米軍基地や軍事演習がどのように変化するのか、沖縄の基地負担はどうなるのか。また、他国の軍事基地が置かれるとはどういうことであり、しかし、それがないと国家防衛にはどのようなリスクが考えられるのか。それらは、国家の安全保障体制を考える上で重要な問題だと考えます。日米同盟の強化を考えるならば、これ以上の負担は受け入れられないという沖縄県知事の言葉を、他県に住む私たちは真摯に受け止めなくてはならないでしょう。

 

安保法案に関わり、まだまだ考えなくてはならないことはたくさんあります。

私たちは未熟な学生です。ですが、私たちは、自ら学び、自ら考え、自ら行動していくことが未来をつくる力になると信じています。

今回のことを通じて、私たちは、民主主義とは何なのか、立憲主義とは、国民主権とはどういうことなのか、これまで以上にその重要性を実感することができました。

政治のあり方を決めるのは国民です。国会議員の議決は、国民の代表として行っていることです。

 

私たちは、「この政治」から学び、主権者としての今後の行動を考えていきます。

 

そのために物事を複眼的に思考し、自分とは異なる考えの他者との合意形成を目指します。

それは「強いリーダーシップ」ではなく、「普通の人々」による政治です。

異なる考えの他者との合意形成には時間がかかるでしょう。

ですが、私たちは諦めません。政治に対しても、社会に対しても。

そして、私たちは、学び、発信していきます。

それが学問を追究する私たちが、これからの未来の世界に示すべき一つの道であると信じています。

 

これは、安保法案採決に対する抗議文であり、私たちの主権者としての決意を示す声明文です。

第3回学習会報告:<琉球・沖縄について識り考える>

2015年9月12日 に開催したTMS-NCUの第3回学習会の報告です。

第3回は、沖縄から安保を考えてみようということで民俗学

特に沖縄についての研究を進めておられると同時に

美ら島沖縄大使でもある名古屋市立大学教授 阪井芳貴先生に

講師をお願いしました。

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  前日に沖縄から戻られたという先生は、

日焼けした肌にかりゆしウェアを着こなして颯爽と登場。

「この中で沖縄に行ったことある方は?」という問いから学習会は始まり、

沖縄の「過去」、「今」そして「これから」の姿を豊富な資料とともに

示してくださいました。

その中でも特に印象的だったものを以下3点ご紹介します。

 

 

Ⅰ 沖縄の本土「復帰」と「今」

 

 琉球・沖縄には4つの大きな時代の節目(世(ゆ)替わり)があった。

1609年薩摩入りと呼ばれる島津藩による琉球支配、

1879年明治政府による琉球処分

1945年からのアメリカによる沖縄統治、

1972年本土復帰である。

節目には全て外から軍隊がやってきた。

ただ1972年だけはウチナーンチュが自ら望んだ転換であった。

それは、日本への憧憬、祖国という言葉への陶酔、

そしてなにより日本が掲げる「平和憲法」に内包されることを

希求したからであった。

しかし「復帰」の結果は、ウチナーンチュが

思い描いていたものとは違った。

アメリカ占領軍の代わりに自衛隊がやってきたのである。

また「本土並み」からは程遠く、多くの分野で

47都道府県中の最下位層に甘んじた。

そして今、復帰の拠り所となった「平和憲法」すら

脅かされる中、沖縄の人々は「沖縄差別」という現実をはっきりと認識した。

同時に沖縄の人々に「内なる」ウチナーンチュを目覚めさせた。

様々な言説が生み出され、それは知識人だけのものでなく、

普通の人々に広がりつつある。

 

Ⅱ 「蛍の光」の歌詞から見えるもの

 誰しもが一度は歌ったことがある「蛍の光」。

その3番4番の歌詞を知っているだろうか。

小学校唱歌集初編(1881年(明治14年)11月24日付)に

掲載の歌詞は以下の通りである。

 

3番

筑紫の極み 陸奥の奥 海山遠く 隔つとも 

その眞心は 隔てなく 一つに尽くせ 國の為

 

4番 

千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 護りなり 

至らん國に 勲しく 努めよ我が背 恙無く

 

3番は国のために心をひとつに という国家主義的なもの、

4番に至っては北海道、沖縄は日本(八洲)を守るために

努めよという歌詞である。

4番の歌詞は時代によって改変もされている。

 

<明治初期の案>

千島の奥も 沖縄も 八洲の外の 守りなり

 

<千島樺太交換条約・琉球処分による領土確定後>

千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 守りなり

 

日清戦争により台湾割譲後>

千島の奥も 台湾も八洲の内の 守りなり

 

日露戦争後>

台湾の果ても 樺太 八洲の内の 守りなり

 

こうして読むと「蛍の光」が学問と友人への郷愁を

思いうたう歌ではなく、領土拡大を目指す

近代国家日本を支える皇国臣民としての決意を

歌う歌だということがわかる。

そして、近代国家日本の領土は近代化政策と戦争によって変化し、

沖縄はそうした中で「日本」に組み込まれたのである。

北海道や沖縄は(時代によっては台湾も)日本を守るための捨て石であった。

いやこれは過去のものではないのかもしれない。

 

 

3.辺野古そして安保法案に対して私たちヤマトゥンチュができること

①疑問をもつ 

・なぜ沖縄に米軍基地を置かなければならないのか。

 辺野古は本当に「抑止力」になるのか。

・抑止力があるならなぜ与那国、石垣、宮古自衛隊基地を新設するのか

 

②誤解をとく

・沖縄予算の「厚遇」

  →印象操作でありむしろ県民一人当たりにすると全国平均より4割弱少ない。

         辺野古新基地受け入れの対価と言われるのは不当。(琉球新報8月27日社説)

 

・基地依存経済 

  →県財政における米軍基地関連収入は5%程度

 

辺野古が唯一の解決方法 

  →具体的な根拠がない

 

③想像力を働かせる

・生活圏に基地があるということ

 

・安保関連法案により「辺野古・高江」は他人事ではないこと

 

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約1時間30分の講義の後、参加者との質疑応答が行われ、

あっと言う間の2時間でした。

沖縄からの安保法制を考える、それはまず沖縄の真実を知ることから

始まるのだと実感した学習会となりました。

 ☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆

次回学習会は10月12日(月・祝日)を予定しています。

イスラム」からの視点で安保法制を考えたいと計画中です。

詳細が決まりましたら当ブログ、Facebookで告知いたします。

みなさまのご参加をお待ちしています。