第3回学習会報告:<琉球・沖縄について識り考える>
2015年9月12日 に開催したTMS-NCUの第3回学習会の報告です。
第3回は、沖縄から安保を考えてみようということで民俗学、
特に沖縄についての研究を進めておられると同時に
講師をお願いしました。
前日に沖縄から戻られたという先生は、
日焼けした肌にかりゆしウェアを着こなして颯爽と登場。
「この中で沖縄に行ったことある方は?」という問いから学習会は始まり、
沖縄の「過去」、「今」そして「これから」の姿を豊富な資料とともに
示してくださいました。
その中でも特に印象的だったものを以下3点ご紹介します。
Ⅰ 沖縄の本土「復帰」と「今」
琉球・沖縄には4つの大きな時代の節目(世(ゆ)替わり)があった。
1945年からのアメリカによる沖縄統治、
1972年本土復帰である。
節目には全て外から軍隊がやってきた。
ただ1972年だけはウチナーンチュが自ら望んだ転換であった。
それは、日本への憧憬、祖国という言葉への陶酔、
そしてなにより日本が掲げる「平和憲法」に内包されることを
希求したからであった。
しかし「復帰」の結果は、ウチナーンチュが
思い描いていたものとは違った。
アメリカ占領軍の代わりに自衛隊がやってきたのである。
また「本土並み」からは程遠く、多くの分野で
47都道府県中の最下位層に甘んじた。
そして今、復帰の拠り所となった「平和憲法」すら
脅かされる中、沖縄の人々は「沖縄差別」という現実をはっきりと認識した。
同時に沖縄の人々に「内なる」ウチナーンチュを目覚めさせた。
様々な言説が生み出され、それは知識人だけのものでなく、
普通の人々に広がりつつある。
Ⅱ 「蛍の光」の歌詞から見えるもの
誰しもが一度は歌ったことがある「蛍の光」。
その3番4番の歌詞を知っているだろうか。
小学校唱歌集初編(1881年(明治14年)11月24日付)に
掲載の歌詞は以下の通りである。
3番
筑紫の極み 陸奥の奥 海山遠く 隔つとも
その眞心は 隔てなく 一つに尽くせ 國の為
4番
千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 護りなり
至らん國に 勲しく 努めよ我が背 恙無く
3番は国のために心をひとつに という国家主義的なもの、
4番に至っては北海道、沖縄は日本(八洲)を守るために
努めよという歌詞である。
4番の歌詞は時代によって改変もされている。
<明治初期の案>
千島の奥も 沖縄も 八洲の外の 守りなり
千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 守りなり
<日清戦争により台湾割譲後>
千島の奥も 台湾も八洲の内の 守りなり
<日露戦争後>
台湾の果ても 樺太も 八洲の内の 守りなり
こうして読むと「蛍の光」が学問と友人への郷愁を
思いうたう歌ではなく、領土拡大を目指す
近代国家日本を支える皇国臣民としての決意を
歌う歌だということがわかる。
そして、近代国家日本の領土は近代化政策と戦争によって変化し、
沖縄はそうした中で「日本」に組み込まれたのである。
北海道や沖縄は(時代によっては台湾も)日本を守るための捨て石であった。
いやこれは過去のものではないのかもしれない。
3.辺野古そして安保法案に対して私たちヤマトゥンチュができること
①疑問をもつ
・なぜ沖縄に米軍基地を置かなければならないのか。
辺野古は本当に「抑止力」になるのか。
・抑止力があるならなぜ与那国、石垣、宮古に自衛隊基地を新設するのか
②誤解をとく
・沖縄予算の「厚遇」
→印象操作でありむしろ県民一人当たりにすると全国平均より4割弱少ない。
辺野古新基地受け入れの対価と言われるのは不当。(琉球新報8月27日社説)
・基地依存経済
→県財政における米軍基地関連収入は5%程度
・辺野古が唯一の解決方法
→具体的な根拠がない
③想像力を働かせる
・生活圏に基地があるということ
・安保関連法案により「辺野古・高江」は他人事ではないこと
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
約1時間30分の講義の後、参加者との質疑応答が行われ、
あっと言う間の2時間でした。
沖縄からの安保法制を考える、それはまず沖縄の真実を知ることから
始まるのだと実感した学習会となりました。
☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆
次回学習会は10月12日(月・祝日)を予定しています。
「イスラム」からの視点で安保法制を考えたいと計画中です。
詳細が決まりましたら当ブログ、Facebookで告知いたします。
みなさまのご参加をお待ちしています。