SEALDsと考える・ピース&デモクラシー@ピースあいち(報告・後半)
5.「繰り返してはならない」という想い <鈴木忠男さんのお話>
第1部の最後は、第二次世界大戦時陸軍通信兵として従軍されていた鈴木忠男さんの
お話です。鈴木さんが自身の戦争体験を語ったのは今年の夏が初めてだったそうです。
鈴木さんによれば、1945年8月6日陸軍通信部は午前2時の時点で新型爆弾が
テニアン空港を出発、日本に向かっているという情報をキャッチしていました。
しかし軍部も政府もその情報に対する一切の対応をしなかった。
鈴木さんは「どんなことでも真実は見えない。(戦時)国家は隠す部分をもっている」
といい、それは現代日本との共通点ではないかと言います。
そして、戦後70年これまでの日本は本当の民主主義社会ではなかったのではないかと
感じているそうです。
ですが同時に鈴木さんは今年の夏、全国各地で若者たちが自分たちのやり方で
立ち上がり自分たちの言葉で語っているその姿を見、
「声を上げられる社会はある」と実感したそうです。
鈴木さんら戦争体験者が自らの心と体を切り刻むようにして戦争体験を語るのは
そこに「戦争を繰り返してはならない」という当事者の想いがあるからだと
語っていただきました。
6.第2部 世代間ギャップを越えて…新しい出会いへ
さて、“骨太”のイベントゆえに第1部だけでボリューム満点の報告になって
しまいました。
第2部については…珠玉の言葉をほんの少しですがご紹介します。
① 愛知に恒久的な戦争を学ぶ施設を設立する活動の中心メンバーであり
現ピースあいち館長である野間美喜子さんは
「権力と戦うことに“勝ち”はほとんどない」と言います。
安保関連法案強行採決の事実は多くの人々にデモ活動や政治運動の無力さを
感じさせたと言われることがあります。
ですが、そもそも権力は強大なのです。
権力に完全勝利することはほとんどなく、ただし、人々の民主主義社会を
目指した“草の根”活動が「社会に民主主義の種を蒔く」。
だから続けなくてはならないのですね。
② 元山さんから教科書に載っている「20万人の犠牲」について。
その数字に含まれているのは一人の人間の“ストーリー”、一人の人間が生き、
苦しみ、死ぬ、その“ストーリー”を感じられることが戦争の追体験に
つながるのではないかということでした。
③ 岡さんが紹介してくれた話です(これは第1部でした)。
福岡県星野村に戦後70年間燃え続ける「原爆の灯」があるそうです。
その灯は原爆投下1ヶ月後まだ町のあちらこちらにくすぶっていた原爆の残り灯を
持ち帰った山本さんが家族にも話さずカイロや火鉢の中でともし続けてきた
灯だったそうです。
その後、その灯のことを知った村は「平和の灯」として後世に伝えていこうと考えた。
しかし、山本さんにとってその灯は「平和」ではなく「復讐の灯」でした。
多くの人の人生を奪ったその灯でいつかホワイトハウスを燃やしてやりたい、
そう思っていたのだと。
その「復習の灯」は戦後50年たち山本さんの中で「供養の灯」となり、
現在は「平和の灯」として福岡県星野村(現八女市)で灯され続けています。
*註2 「昭和20年(1945年)広島・長崎の原爆によって亡くなられた
方々の冥福を祈り、世界平和への願いを新たにしていくために建てられました。
塔の中に燃える“平和の火”は、焦土と化した広島から星野村の山本達雄さんが
持ち帰り、やがて村が引き継いで、今日まで絶えることなく燃え続けています。
(福岡県八女市HPより抜粋)
イベントではこの他にも、大学生、ママさん、シニアなどなど
さまざまな人々がこれまでにしてきた“行動する”経験や“行動する”ことへの
想いが語られました。
最初の一歩は不安だけれど、そこから新しい「未来」がつながったことを
多くの人が語ってくれました。
「もう二度と戦争は繰り返してはならない」。
多くの人が同じように感じているにもかかわらず、未来の選択肢は
さまざまです。私たち一人一人はどのような未来を望み、
その実現のためにどう行動していくのか、答えもまた様々なのだろうと思います。
行動することを恐れず異なる価値観を持つ他者とも共に「日本」そして
「世界」をつくっていくメンバーに自分もいる、
そのことを忘れないようにしたいそう思いました。